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仙台高等裁判所 昭和39年(行コ)3号 判決

控訴人(原告) 田中清

被控訴人(被告) 青森県知事

訴訟代理人 森静

主文

原判決を取り消す。

被控訴人が控訴人に対する昭和三四年九月四日附買収令書を交付してした別紙物件目録記載の農地に対する買収処分を取り消す。

訴訟費用は第一審、差戻前の控訴審、上告審および差戻後の控訴審とも被控訴人の負担とする。

事実

控訴人は主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張並びに証拠の関係は、控訴人において、「昭和二二年四月一二日控訴人と対馬永造との間に本件農地三筆について、同日限り賃貸借契約を解約する旨の合意が成立し、これにつき旧大光寺町農地委員会の承認を得た。その後控訴人と永造との間に新たな賃貸借契約等永造に本件農地の占有権限を与えるような契約は一切なされたことがないのに、控訴人従前主張のごとく永造は控訴人の再三の要求にもかかわらず本件農地を返還せず、その不法占有を続けて来たものである。」

と述べ、被控訴代理人において

「控訴人の右主張事実中、控訴人と対馬永造間の本件農地賃貸借契約が合意解約されたことは否認する。昭和二二年四月一二日以後両名間に新たな賃貸借契約等が締結されなかつたことは認めるが、両名間には従前の賃貸借関係が事実上存続しており、永造はこの関係に基いて昭和三四年まで本件農地を引続き耕作して来たものであり、控訴人は永造のこの耕作を、昭和三四年四月本件農地の返還を求めるまで黙認していたものである。」

と述べたほかは、すべて原判決の事実摘示と同じであるので、これを引用する。

(証拠省略)

理由

控訴人の父由太郎(昭和一九年五月一六日死亡)が昭和九年以降本件農地を黒石市山形町在住の宇野善造から賃借、耕作していたこところ、昭和一八年からこれを自己と同じ部落に住む対馬永造(昭和三四年一〇月九日死亡)に転貸したこと、控訴人が右由太郎の死亡により家督相続をした後、旧大光寺町農地委員会に対し永造に転貸している農地の返還の申立をしたこと、その後本件農地が旧自作農創設特別措置法(以下旧自創法と略称する)の規定によつて政府に買収され、昭和二六年三月二日同法第一六条によつて控訴人に売渡され、控訴人がその所有権を取得したが、永造はその後も引続き本件農地を耕作していたこと、ところが被控訴人が昭和三四年九月四日附買収令書を控訴人に交付し、農地法第一五条により本件農地を買収したことおよび控訴人が同年一〇月三日附をもつて農林大臣に対し右買収処分について訴願を提起したが、今だにその裁決がないことは当事者間に争いがない。

控訴人は対馬永造の本件農地の右耕作は不法のものであるから農地法第一五条による同農地の右買収処分は買収の要件を欠き、違法である旨主張するので、この点を検討する。

本件農地が前示のごとく昭和二六年三月二日旧自創法第一六条により上告人に売渡されたとすれば、同法第二二条により売渡の時期(昭和二六年三月二日)に対馬永造の前記転借権は一応消滅したものと解さざるを得ない(従つて被控訴人の差戻前の口頭弁論における永造の前記耕作は従前((右売渡前))の転貸借関係の存続による旨の主張は理由がない。)。そして昭和二二年四月一二日以後控訴人と永造間に新たな賃貸借契約の締結されなかつたことは被控訴人の自認するところである。そうすると昭和二六年三月二日以後の永造の本件農地の耕作は特段の事情のない限り不法な耕作と見るほかはない。ところで農地法第一五条は旧自創法により売渡を受けた農地を所有者および世帯員以外の者が耕作の事業に供したときは国が買収する旨規定している。しかし同条の趣旨は、かような農地を認めることは自作農創設という旧自創法の目的、精神に反する(換言すればかような農地の所有者は自作農たるに値いしない)結果となるので、農地法第三条第二項第六号の創設自作地貸付制限の規定と対応して、該農地を改めて国に買収せしめようとするにあると見るべきであるから、たとえば他人が所有者の意思に反して不法に耕作している場合のごとく、他人が耕作していても、必ずしも所有者に旧自創法の目的、精神にもとる意図ないし所為の認められないような創設自作地までも、これを買収する趣旨とは解されない。これを本件について見ると、被控訴人は、控訴人は本件農地売渡後の永造の耕作を黙認していたと抗争するけれども、被控訴人の全立証をもつてしてもこの黙認の事実を首肯するに足りない(乙第四号証中に控訴人の申立として記載されている永造の願いにより本件農地を同人に無償で耕作させている旨の部分も、調停申立書のこれだけの片言をもつて控訴人が永造の右耕作を黙認していたものと見るのは無理であるし、また当審証人田中繁太郎(第二回)、三浦誠一、成田周三の各証言により認められる控訴人が田植時永造の本件農地の耕作を共同でした事実も、右各証言で明らかなごとく、部落の慣例として組を編成して行われる共同作業であつて、控訴人個人の意思とは関係のないことがらであり、これまた控訴人の右耕作黙認の認定資料たり得ない。)。却つて控訴人が本件農地の売渡を受けた以前から永造に対し他の転貸農地と共にその返還を求めていたことは前示のとおりであり、成立に争いのない甲第四、第六ないし第八号証、乙第一号証の一ないし四、第二号証、第三号証の一ないし三に原審証人三浦諒二、田中長作、鶴田兼八、三浦淳、原審および当審証人中畑正次、当審証人田中サタ(差戻前)、田中繁太郎(第一、二回、ただし第一回は差戻前)、長内平内の各証言並びに弁論の全趣旨を綜合すると、本件農地は永造が他にも耕作地を有する大工であるのに対し、控訴人が零細な専業農家である旨の申立が容れられて前示のように控訴人に売渡されたものであること、その後も永造が本件農地の耕作を続けるので、時折人を介してその返還を求めたが、応じないので、機会を待つうち、昭和三四年四月に至つてまたも永造にその返還を要求したところ、永造は一旦は返還を約しながら意を飜したことから両者間に本件農地の耕作につき紛争が起つたので、その頃地元平賀町農業委員会でも紛争解決の労をとつたが、話合いが成立してもまたすぐ破れる有様で、結局妥結を見るに至らなかつたこと、そこでその解決策として同年八月四日右農業委員会において被控訴人に対し農地法第一五条による本件農地の買収進達の手続をし、被控訴人もその理由を認めて本件買収処分をしたことが認められ、これらの事実によれば永造の本件農地の耕作については控訴人は常に不満を抱き、耕作権の回復を冀つていたもの、換言すれば旧自創法の精神にもとる意図は全く持つていなかつたものと見られる(なお、本件訴訟の経過に徴すれば控訴人、永造はもちろん地元平賀町農業委員会も旧自創法によつて本件農地が控訴人に売渡された以上、それに設定されていた永造の従前の転借権は消滅するものであることに気づかず、また気ずいていたとしてもそれを念頭におかずして、本件農地につき控訴人はその返還を求め、永造はこれを拒否し、農業委員会は両者の斡旋をはかり、妥結がつかないと見るや独自の解決策として前示のように被控訴人に対し農地法第一五条による買収進達をした観が深く、この点からしても控訴人に旧自創法の精神に違背するような意図のなかつたことが窺い得る。)。そうすれば本件農地は創設自作地ではあつても農地法第一五条の意図するところにあたらないものと見ざるを得ず、従つて同条に基いてなされた本件買収処分はその点において違法であり、取り消されるべきである。右と認定を異にし本訴請求を排斥した原判決は不当であり、取消しを免れない。

よつて民事訴訟法第三八六条、第九六条、第八九条に従い、主文のとおり判決する。

(裁判官 田中宗雄 上野正秋 藤井俊彦)

(別紙)

物件目録

青森県南津軽郡平賀町大字本町字西宮一一番の二号

一、田 一畝歩

同所一二番の二号

一、田 七畝三歩

同所同番の四号

一、畑 一五歩

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